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教会の歴史

「被爆十字架」について

被爆十字架

礼拝堂の前にかかげられている黒焦げの十字架は、「被爆十字架」と呼ばれているものです。1945年の被爆によってほぼ炭化した木材で作られました。

1995年、被爆50年を記念して前会堂正面にかかげられ、現会堂でも被爆を語り継ぎ、平和を証し続ける大切な十字架としてかかげられています。

被爆した鐘について

被爆した鐘

礼拝堂後部に設置されている鐘には、「昭和五年拾壱月吉日寄付」と書かれています。

「昭和一八年」の週報には、「◆金属回収運動に協力しませう◆御覧の通り当教会は供出しうる凡ての金属を供出致しました。当分不自由でもあり、見たところも見苦しいものがありませう。しかし栄光の日を迎ゆるまで一切のことを忍びませう。」と書かれている中で、残ったものです。

戦争の実態と教会も戦争協力していった姿を忘れず、平和を創り出すためのしるしとして、1995年、被爆50年の年に「被爆十字架」と共に前会堂に架設されました。

平和聖日合同礼拝のときに平和を祈念してこの鐘をつきます。

被爆定礎板について

被爆定礎板と現会堂(2013年)定礎板
第三次会堂(1927年)と被爆した会堂

日本基督教団合同(1941年)前の日本メソヂスト広島中央教会は、上流川町(現 中区鉄砲町)に第三次会堂(ヴォーリス設計による500席を有する礼拝堂)が1927年竣工しました。1945年8月6日、被爆した会堂の定礎板を2017年、創立130周年記念として、被爆の事実を伝え、平和を実現するために現会堂の定礎板の横に「被爆定礎板」として設置しました。

被爆後修復された尖塔の十字架

被爆後修復された尖塔の十字架

被爆後修復された尖塔の十字架
戦後修復された会堂

1945年被爆した会堂は、鉄筋コンクリートの枠組みだけが残りました。戦後、修復され1952年「教会復興起工式」が行われました。復興された会堂の尖塔に掲げられていた十字架を被爆と復興の記念として現会堂入り口に設置しました。

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